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忌野清志郎の名言|お前ら!サボってんじゃねーぞww

kiyoshiro1.jpg

先日、なぜなのか・・・!?
自分でもよくわからなかったんだけど、
ふと、ユーチューブ動画をいつものように
何かないかなぁ~?


そんな感じで物色していた時に、今では、
伝説的なロックシンガーとしてまつられている?
そんな貫禄もある、KingofRockこと、
忌野清志郎さんの動画を引いてしまいました。。


そのあと、彼の音楽ビデオ動画やラジオの音声や
彼が亡くなった後の追悼番組なんかを見ているうちに、
どーにもこーにも彼の事が愛おしく感じてしまいました。
いつも使ってるIpodの中は、あっという間に彼で一杯となり。


その後、仕事が終わり家に帰ってからも、先ずは・・・?
彼の音楽を聴いてからじゃないと、何とも他の事が、
手に付かない状態になっていました(苦笑)
これまた今は亡き、筑紫哲也さんとの対談音声なんてさ。


ほんと!そんな話している中身自体は、とてもシンプルで
短いものだったんだけど、これがまた泣ける・・・。
何ていうか、忌野清志郎さんの心の芯にあるものが、
そのままなーーんも、着飾らずに出ていて、本当に泣けた。


で、彼への妄想が膨らむ中で、どんどん彼の音楽や動画を観て行くと、
最初、自分自身の記憶の中では、彼が亡くなったのって、
今から、2~3年前くらいに思っていたんだけど、
Wikipediaで調べてみたら、2009年に亡くなっていたんだよね。。


なので、今年の5月で亡くなってから丸5年も経っていたんだよね。
時間の流れの早さににも、改めて驚かされてしまったんだけど、
それとは逆に時の重さみたいなものに、なんだか、気持ちの底の方から
ジーンと、湧いてくるものを感じてしまったんだよね・・・。


爆笑問題が仕切っているラジオ番組の音源を聴いてたら、
番組の最後の方で、司会の太田光さんが、こんな事を言っていました。
まさか!誰も、こんなに早く、忌野清志郎が、58歳で逝ってしまうなんて!!
なんで、こんなに早く逝ってしまったの・・・!?


今思えば、それ自体が彼からのメッセージなんじゃないかと思えてしまう。
お前ら!!もっと急げーー!さぼってんじゃねぇーぞって。
この先、何が起きるか分らないんだから、もっと急げよぉ~!!
そんなメッセージに思えて来てしまう。


まぁ~、こんな事をしゃべっていたんだけどね。
コレって、多分と言うか、おそらく・・・。
当たっていると思います。
だって、それが彼の生き方そのものに映し出されていると思うから。。


主な事件
1982年6月14日、生放送番組「夜のヒットスタジオ」(第709回)に
RCサクセションとして出演した際、曲の最中暴れまわったり、
司会者とのトーク時より噛み続けていたガムをテレビカメラに向かって
吐きかけるなどの悪ふざけをし、さらにそのことで視聴者へ謝罪する
司会者の後ろで舌を出したり顔をしかめるなどしたことから、
テレビ局に抗議の電話が殺到。


その数は500件近くに上ると言われている。
1988年、東芝EMI から発売予定だったRCのアルバム『COVERS』が、
原発問題を取り扱った歌詞などがネックとなり、急遽発売中止に。
後にレコード会社を変えて、ようやく発売される(詳細は『COVERS』の頁を参照のこと)。


1999年、パンク・ロック風にアレンジした「君が代」を収録したアルバム
『冬の十字架』がポリドールから発売される予定だったが、
同年8月に国会で成立した国旗・国歌法を巡る議論に巻き込まれることを
危惧した同社が発売を拒否。


結局、販売をUKプロジェクトにしインディーズのSWIM RECORDSレーベルから発売される。
2000年、SWIM RECORDSレーベルから発売予定だったラフィータフィー名義の『夏の十字架』は、
インディーズ商人の実態を揶揄した「ライブ・ハウス」という曲中で暗に批判されたライブハウス
下北沢QUEのオーナーが激怒、同店と系列関係にあるUKプロジェクトの逆鱗に触れ
インディーズからも販売中止という前代未聞の事態となる。


奇しくも、同曲が批判するインディーズ業界の問題点が実証された形となる。
同アルバムは、最終的にSWIM RECORDSから発売・販売される。
2002年6月1日、FM802開局13年記念イベント「JAPANESOUL」に三宅伸治と共に、
それぞれ長間敏(おさまびん)、神田春(かんだはる)と名乗ったデュオ
「アルカイダーズ」として出演。


米国9.11テロに関連した曲を演奏したが、放送ではカットされた。
2003年4月22日、日本武道館で開催された「アースデイ・コンサート」
(TOKYO FMなどJFN加盟する全国のFM各局に生放送)に出演した際、
当初予定になかった「君が代」や「あこがれの北朝鮮」の替え歌
(発売当時の金賢姫をキム・ヘギョンに変更するなどした)などを歌い、
会場を騒然とさせた。


混乱が心配されたが、直後に出演した佐野元春による
「自由に歌える国に生まれてよかった」という発言や、佐野やバンドの冷静な演奏に、
イベントは救われる。


なお演奏された曲の一部は、イベント開催の趣旨説明などに差し替えられ、
その部分が放送されなかった。
ちなみに忌野はその後、アースデイコンサートに呼ばれてはいないが、
佐野は翌年も参加している。

Wikipediaより^^

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ロック歌手元RCサクセション忌野清志郎さん死去☆スローバラードは永遠に。。

[RCサクセション] ブログ村キーワード


日本の音楽界を代表する音楽家が逝ってしまいました。
そのおとこの名前は、忌野清志郎。個人的にはRCサクセションの初期の時代から
彼の音楽をよく聴いておりました・・・。


まだ、58歳という若さでのさよならを、
何とも言えない気持ちに包まれながら
テレビで流れる訃報のニュースを観てた私がいます。


RCサクセション時代からの名曲「雨上がりの夜空に」や
「スローバラード」のライブビデオが忌野清志郎さんの
訃報を伝えているテレビ番組から流れてきました。


今も昔も変わらない、独特の歌声と歌い方。
時々、ものまね番組などで忌野清志郎さんも
歌マネをする芸人さんを拝見した事があるけど、
やっぱり本物中のホンモノは忌野清志郎さんご自身そのものでありました。


当たり前のことではあるのですが、
細かい演出や派手な舞台装置とか・・・。
忌野清志郎さんがテレビの歌番組やライブ中継とかで
観ていると馬鹿らしく思えてきます。


ステージ上に忌野清志郎さんが立っただけで、
それだけですべてが忌野清志郎さんのカラーへ
世界観に包まれて行ってしまう。


忌野清志郎さんのステージは観ているだけで本当に楽しかった。
一瞬にして自分の世界観を創り上げてしまう彼の
ライブパフォーマンスに引き寄せられて、
そして魅了されていた私があります。


もの凄く人を誘惑するチカラと、静かに距離間を
置こうとしている二つの人格が忌野清志郎さんの
世界観を生みだしているようにも感じられました。


忌野清志郎さんがソロ活動をされる前に所属していたロックバンド、
RCサクセション。RCサクセションを初めて観たのは、
確か・・・。


私がまだ、10代半ば頃の出来事だったと記憶しております。
私の場合は、兄弟の影響もありまして音楽を聴き始めたのが
12~3歳の頃でした。その当時は洋楽ばかりを聴いていましたね。。


テレビを付ければ、毎日のように歌番組が流されていました。
テレビに出てくるタレントさんや歌手のみなさんを観ては、

「日本人歌手の歌は、お金を出してアルバムを買う気にはならない」


毎日、テレビに映っているアイドル歌手や日本の歌い手さん達を
観ては、そんな気持ちを抱いていました。

「やっぱり、音楽は洋楽でないと・・・。」 


13歳くらいからスティービーワンダーやエアロスミスとか、
それからキッスやクイーンとかも好きで、
よく聴いていた記憶があります。


なので、正直なところ日本人の歌は
“テレビでタダで観るものだし聴くもの”
そんなような考え方を当時の私はしておりました。


そんな思春期、ど真ん中の頃に兄弟の友人から
一枚のライブアルバムを渡されました。
ライブアルバムのタイトルは『THE SUTR in 日比谷』。


ご存じの方もいると思うのですが、
あの!!日本のロック界のBOSSボスこと、
矢沢永吉さんがキャロルを解散したのち、
ソロになって初めてだしたライブアルバムが
『THE SUTR in 日比谷』になります。


いまとは違って大きなレコードジャケットのアルバムは、
本当に宝物のような存在感がありました。

「大事に扱って聴いてね・・・。」

兄弟の友人が、お願いするような感じでアルバムを
手渡してくれた時の光景をいまでも鮮明に憶えております。


現在だと音楽を聴きたい時には、CDとか
ダウンロードして聴くのが当たり前になっていますが
“音楽への愛着度”みたいなものが、いまとは
比べられないほどあったような感じがありますね。


“音が出る宝物”みたいな意識が、昔の
レコードアルバムにはあったように思います。


時代は進化して何事もスマートになり
コンパクト化されていくのは、
良いことだとは思います。


しかしながらモノへの愛着感が薄れてしまうのは、
味気なくて良い方向性とは言えないですね。


矢沢永吉さんのライブアルバム。初めて、ちゃんと
アルバムをレコード針に落として聴いた
日本人のロック歌手の音楽。


アルバムジャケットの写真はライブアルバムでしたので
ふんだんに盛り込まれておりました。
ブルカラーのシャツにまっ白なパンツ、
そしてコンバースのバスケットシューズと黒く光るリーゼント。


彼の歌声と曲の合間に入る矢沢永吉さんのMCなど、
私は一瞬にして矢沢永吉さんのファンに
なってしまっていました。

「へぇ~、日本人でも・・・。こんなカッコいい歌い手がいるんだ」


当時、初めて矢沢永吉さんを知った時の
素直な印象でありました・・・。


『スーパースター』という形容詞が似合うというのか!?
ピったと納まる感じの歌い手さんは、日本の音楽業界には
現在もほとんどいないようような気が致します。


『スーパースター』というカリスマ性!!


現在の日本の音楽業界を観させてもらった時に、
カリスマ性を持ったアーティストは皆無と
言っていいほど、いなくなってしまったと思います。


そんな中にあっての忌野清志郎さんの死を
受け入れなければならない現実。


矢沢永吉さんを知った、少し後くらいに
RCサクセションを知って、忌野清志郎さんの独特の歌い方や声質。
それからリズムの切り方などに影響を受けた自分がいます。


表現力の自由な感じ・・・


RCサクセション時代からソロになってからの忌野清志郎さんの
表現力には、一慣性がありましたね・・・、
いつの場合にも。


どんなステージで忌野清志郎さんを観ていても、
忌野清志郎さんのステージパフォーマンスは
変わりはしませんでした。


野太い声と自由な感じの表現、そして
忌野清志郎さんの創る楽曲の世界観には、
いつも現状に対するメッセージがありました。


次には、

『どんな事をやるのかなぁ~』。

そんな気持ちに自然とさせてくれていた
“日本のロックの神様”がいなくなってしまった
現実を当分の間は、やっぱり受け入れる事が出来ない。


それが今の私の心境です。

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【忌野清志郎】がん闘病の末に死去|ロック界から大きな星消える


日本のロック界を代表する
ボーカリストでミュージシャンの
忌野清志郎さんが癌(がん)性
リンパ管症により亡くなられました。


以前よりメディアなどで
癌と闘っている忌野清志郎さんの
姿を時々、テレビとかで
観た機会があります。


忌野清志郎さんと言えば
RCサクセションの時代から
気になっていたアーティストの
ひとりでありました。


独特の歌い方ににリズムの
切り方など、忌野清志郎さんにしか
出す事の出来ない世界観を
お持ちの方であったと
認識しております。


まだ、58歳。
日本の音楽シーンの中では
50代の音楽家は少ないようですが、
50代後半になっても忌野清志郎さん
独特の節回しでロックファンを
魅了されていましたね。


とにかく残念としか
言いようがありません。


忌野清志郎さんのご冥福を
お祈り申し上げます。


ロックの革命家・忌野清志郎さん、
がんに死す…58歳、早すぎるよ

ロック歌手の忌野清志郎
(本名・栗原清志)さんが、
癌(がん)性リンパ管症のため、
都内の病院で2日午前0時51分に
亡くなった。


「RCサクセション」時代から
若者のカリスマとして活躍した
清志郎さんは、06年7月から
喉頭(こうとう)がんで闘病。


昨年2月の日本武道館公演で
復帰後、同7月に左腰の
腸骨に転移が見つかり、
療養中だった。


近親者のみで密葬の後、9日に
東京・青山葬儀所で
告別式を行う。


激動のロックンロール人生に突如、
終止符が打たれた。


関係者によると、療養中だった
清志郎さんは1日夜に
容体が急変。


「RCサクセション」ギタリストの
「CHABO」こと仲井戸麗市が
公演後に都内の病院に駆けつけたが、
家族や盟友の祈りも届かず、
2日に天国へ旅立った。


清志郎さんは06年6月末に
のどの不調を訴え、
検査を受けたところ、7月に
喉頭がんと診断された。


歌手生命にかかわることから
声帯の摘出手術を避け、
抗がん剤の治療で
髪は抜け落ちたが、趣味の
サイクリングなどによる
不屈のリハビリで克服。


昨年2月の日本武道館公演で、
約1年7か月ぶりに
一時復帰を果たした。


同6月には声優初挑戦の米アニメ
スポンジ・ボブとアトランティス、
行きたいんデスの公開収録で・・・。


(体調は)全然、大丈夫。完治?
そうですね。
いつまでそんなこと
言ってんだって感じと
全快をアピール。


皮肉にも直後の同7月に左腸骨への
がん転移が発覚。
通院での放射線治療で、
再度の闘病生活を送っていた。


最近では治療に専念する同世代の
パワーを感じてほしいと、
タレント・間寛平の地球一周
アースマラソンの応援歌
「走れ何処までも」
「RUN寛平RUN」の
2曲を書き下ろし。


自宅近くの居酒屋で酒を酌み交わす
仲の親友のため、同11月には
2年6か月ぶりの
レコーディングに精を出していた。


今年に入ると大阪のラジオ局
「FM802」の春の
キャンペーンソング
「Oh!RADIO」を作詞、作曲。


現時点での“遺作”で
Oh!RADIO 聴かせておくれ 
この世界に 愛と平和のうたをと
魂の叫びをつづっていた。


3月には“校長”を務めるNHK
「ロックの学園」のライブ出演を
見合わせるなど、今後の新曲発売や
イベント出演など具体的には
未定だったが、関係者は・・・。


治療を優先しつつ、先週もスタッフが
打ち合わせを行い、新作に限らず、
過去のカタログ作品の発売を
検討していた矢先だった。


病気の影響なのか、疲れが
たまりやすいこともあり、
復帰に向けては慎重だったと
ショックで言葉を詰まらせた。


清志郎さんは高校在学中に
「RCサクセション」を結成し、
70年にデビュー。


フォークソング「僕の好きな先生」
のヒットで注目を集め、
ロックに移行した後の
「雨あがりの夜空に」や
「トランジスタ・ラジオ」などで
人気が爆発。


甲高い独特の歌声と過激な
パフォーマンスで
「キング・オブ・ロック」
「ゴッド」の異名を誇った。


80年代後半には反原発ソングを
作って、自主規制した
レコード会社やラジオ局と
徹底抗戦。


テレビの歌番組に生出演した際に、
放送禁止用語を連発しながら
名指しでラジオ局を批判し、
話題となった。


99年にはロック版「君が代」の
入ったアルバムを発売中止にした
レコード会社をやり玉に、
またヒット曲
「い・け・な・いルージュマジック」
では坂本龍一とキスも披露し、
反体制的な言動でも人気をさらった。


忌野 清志郎(いまわの・きよしろう)
本名・栗原清志。
1951年4月2日、
東京・中野区生まれ。


66年に中学の同級生だった
小林和生、破廉ケンチとバンド
「ザ・クローバー」を結成。


高校進学で解散し、67年に小林、
武田清一とリメインダーズ
オブ・ザ・クローバーを結成。


自然消滅したが、68年に
リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー
サクセション(RCサクセション)を結成。


70年にシングル「宝くじは買わない」
でデビュー。


80年の「雨あがりの夜空に」などの
ヒットを残して、90年代前半に
活動休止。


その後はバンド「ザ・タイマーズ」
「2・3’S」やソロで活動。


多数のCM出演のほか、93年に
「お墓と離婚」で映画デビュー。
94年に「ボクの就職」で
ドラマデビューした。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090503-00000033-sph-ent
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